Century Roman
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 10:21 UTC 版)
「Century (書体)」の記事における「Century Roman」の解説
『ザ・センチュリー・マガジン』出版元のセオドア・ロウ・デ・ヴィネは、雑誌で読みやすいフォントを求めていた。彼は、アメリカ活字鋳造社を新たに設立した友人のL・B・ベントンに、そうした書体を考案してくれるよう依頼した。主にジャンバティスタ・ボドニ(英語版)の影響により、19世紀全般で一般的な印刷フォントが細身になっていたため、ページ上で弱い印象を与えていた。デ・ヴィネと芸術愛好家のウィリアム・モリスはこの「ひ弱になっていく事」を批判して、もっと黒い書体への転換を訴えた。L・B・ベントンが生みだした書体の「Century Roman」は、大半の書体よりもエックスハイト(英語版)(小文字の高さ)が大きく、一般的なものよりも厚みのあるヘアラインだったが、デ・ヴィネはこれがより読みやすいと確信して、コンデンスド書体のままにした。これは鋳造活字でのみ作られ、後に付随する通常幅の書体がL・B・ベントンによって製作された。「Century Broad Face」や「Century No. 2」などさまざまに呼ばれている。Centuryファミリーの起源となっている書体にもかかわらず、より普通の比率である後年の書体ファミリーに比べて人気は芳しくない。
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