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明石元二郎

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/28 14:18 UTC 版)

明石 元二郎(あかし もとじろう、1864年9月1日元治元年8月1日) - 1919年大正8年)10月26日)は、明治・大正期の日本陸軍軍人陸軍大将正三位勲一等功三級男爵。第7代台湾総督福岡藩出身。妻は国子(郡保宗の二女[1])、後妻に黒田信子(黒田一葦の娘)。明石泰二郎(陸士27期、陸軍少将)は甥[2]


  1. ^ 『筑紫史談』第18集、筑紫史談会、1918年、45頁。
  2. ^ a b c 半藤 2013, 位置No. 3808-3818, 陸軍大将略歴〔大正期〕:明石元二郎
  3. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 11頁。
  4. ^ No.380 企画展 「武士の履歴書」(平成23年2月15日 - 4月10日)”. 福岡市博物館. 2022年3月21日閲覧。
  5. ^ 野村 2005, ずんだれ士官は往く
  6. ^ 半藤 2013, 位置番号 1258-1371、明石元二郎:日露戦争の功労者か探偵政治の悪魔か
  7. ^ 『官報』第151号、明治16年12月27日。
  8. ^ 瀧澤中『日本はなぜ日露戦争に勝てたのか(中経出版)』p.145
  9. ^ 瀧澤中『日本はなぜ日露戦争に勝てたのか(中経出版)』p.146
  10. ^ 瀧澤中『日本はなぜ日露戦争に勝てたのか(中経出版)』p.147-p.148
  11. ^ 瀧澤中『日本はなぜ日露戦争に勝てたのか(中経出版)』p.163-p.164
  12. ^ 半藤一利・横山恵一・秦郁彦・原剛『歴代陸軍大将全覧(大正篇)』 中公新書ラクレ
  13. ^ 今井公雄「大国ロシアを震撼させた陰の将軍」『歴史群像シリーズ(日露戦争)』24 1991年平成3年)6月(リンク先の著者のウェブサイトで同記事が読める)
  14. ^ 『明石工作 謀略の日露戦争』丸善ライブラリー 1995年(平成7年)
  15. ^ 秦郁彦「明石元二郎の破壊活動は失敗した」『明治・大正・昭和30の「真実」』文藝春秋 2003年(平成15年)8月
    なお、同書では乃木希典についても司馬が揶揄したような愚将ではないことを実証的に主張した。
  16. ^ 稲葉千晴「スウェーデンに於ける日本の工作は失敗だったか~」北欧文化協会 2000年(平成12年)12月
  17. ^ 西原『スパイひみつ大作戦』、小学館入門百科 シリーズ37
  18. ^ ドミトリー・パブロフ(Dmitri Pavlov)名越陽子訳「[Foresight Nonfiction]日露戦争で暗躍した「もう一人のゾルゲ」」『フォーサイト』新潮社 2005年(平成17年)7月
    著者は1954年昭和29年)生まれ。モスクワ大学歴史学部卒、歴史学博士。投稿当時モスクワ工科大学教授。著書に『露日戦争』『メンシェビキ』『第一次ロシア革命』など。
  19. ^ 西部邁、黒鉄ヒロシ『もはや、これまで: 経綸酔狂問答』PHP研究所、2013年、152頁。 
  20. ^ 瀧澤中『日本はなぜ日露戦争に勝てたのか(中経出版)』p.180-p.181
  21. ^ 後に第8〜9期中華民国総統をつとめた李登輝京都帝国大学出身である。
  22. ^ ただし元の位置に正確に戻されたわけではなく、秘書官を務めた鎌田正威の墓前にあった小鳥居と並べて建てられている(日本李登輝友の会台北事務所[1])。
  23. ^ 明石元二郎『人事興信録』初版 [明治36(1903)年4月]
  24. ^ 明石元二郎『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
  25. ^ 『官報』第228号「叙任」1884年4月7日。
  26. ^ 『官報』第1820号「叙任及辞令」1889年7月24日。
  27. ^ 『官報』第2558号「叙任及辞令」1892年1月13日。
  28. ^ 『官報』第3840号「叙任及辞令」1896年4月21日。
  29. ^ 『官報』第5304号「叙任及辞令」1901年3月12日。
  30. ^ 『官報』第6188号「叙任及辞令」1904年2月20日。
  31. ^ 『官報』第7337号「叙任及辞令」1907年12月11日。
  32. ^ 『官報』第126号「叙任及辞令」1912年12月29日。
  33. ^ 『官報』第967号「叙任及辞令」1915年10月21日。
  34. ^ 『官報』第1799号「叙任及辞令」1918年8月1日。
  35. ^ a b 『官報』第2169号「叙任及辞令」1919年10月27日。
  36. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1889年12月29日。
  37. ^ 『官報』第3741号「叙任及辞令」1895年12月16日。
  38. ^ 『官報』第3849号・付録「辞令」1896年5月1日。
  39. ^ 中野文庫 - 旧・金鵄勲章受章者一覧
  40. ^ 『官報』第7808号・付録「辞令」1909年7月6日。
  41. ^ 『官報』第7771号「叙任及辞令」1909年5月24日。
  42. ^ 『官報』第205号・付録「辞令」1913年4月9日。
  43. ^ 『官報』第979号「叙任及辞令」1915年11月4日。
  44. ^ 『官報』第1194号「叙任及辞令」1916年7月24日。
  45. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  46. ^ 『官報』第2903号「叙任及辞令」1922年4月10日。
  47. ^ 『官報』第5039号「叙任及辞令」1900年4月23日。
  48. ^ a b c d e f 瀧澤中『日本はなぜ日露戦争に勝てたのか(中経出版)』p.171
  49. ^ 半藤一利・横山恵一・秦郁彦・原剛『歴代陸軍大将全覧(大正篇)』 中公新書ラクレ
  50. ^ a b c 瀧澤中『日本はなぜ日露戦争に勝てたのか(中経出版)』p.172
  51. ^ 瀧澤中『日本はなぜ日露戦争に勝てたのか(中経出版)』p.175
  52. ^ 第13回全国藩校サミット 福岡大会 修猷山脈
  53. ^ 小森徳治『明石元二郎 上巻』原書房、1968年
  54. ^ “古寧頭戦役60周年に日本の軍事顧問団関係者の家族らが台湾を訪問”. 台湾週報 (台北駐日経済文化代表処). (2009年10月27日). オリジナルの2010年8月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100818135711/http://www.taiwanembassy.org/ct.asp?xItem=114725&ctNode=3591&mp=202 2011年11月25日閲覧。 


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