AAC設立
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その後しばらくの間、シラードは次々にドイツを脱出してくる学者の受け入れ先の確保のためにあわただしく駆け回ることとなった。ウィーンでは、滞在中の経済学者ウィリアム・ベヴァリッジに対し、亡命学者のための職業紹介所の設立をたきつけ、これはロンドンの「学術支援評議会」(Academic Assistance Council, AAC)として実現した。この AAC はこの種の組織として最も大きなものとなった。数か月の間、ロンドンの AAC の事務所で連日深夜まで働いたのをはじめ、自費でスイスやフランスなどにも足を伸ばし、さまざまな学者に接触して救援を呼びかけた。しかし、この間シラードは自らの進むべき道については迷っていた。AAC や協力した学者に対しシラードは自らも職を必要としていることを告げず、その誘いを断ってさえいる。救済に協力した学者の一人フレデリック・ドナン (Frederick G. Donnan) は「みなシラードが裕福なハンガリー貴族なのだと思っていた」と述べている。
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