88星座の境界線策定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 10:13 UTC 版)
「ウジェーヌ・デルポルト」の記事における「88星座の境界線策定」の解説
1922年にローマで開催されたIAU第1回総会で現在の88星座が定められた際、デルポルトとヘント大学のカスティールズは、北天の星座に対して赤経と赤緯に沿った円弧で境界線を設けることを提案した。これは、1877年にベンジャミン・グールドが南天の星座に対して境界線を定めたのと同じ手法であった。IAUは、1925年にケンブリッジで開催されたIAU総会で「星座の科学的表記」の分科会を設立すると、デルポルトを委員長に選出し、赤緯-12.5°以北の天球上の境界線策定に当たらせた。デルポルトは、1925年10月から1927年9月にかけて、グールドと同じく1875.0分点を基準とした境界線の案を策定してIAUに提示し、1928年にライデンで開催されたIAU総会で承認された。さらにIAUから、北天と同じく南天の星座の境界線も定めるように要請を受けたデルポルトは、グールドの定めた境界線のうち斜めに線が引かれたものを修正し、なおかつ1つの恒星も所属する星座が変わらないような境界線の改訂案を策定してIAUに提示した。この案はイェール大学天文台(英語版)での綿密な精査でごくわずかな修正がなされた後にIAUで承認され、1930年にケンブリッジ大学出版会から「Délimitation Scientifique des Constellations」と「Atlas Céleste」という2つの出版物として刊行された。これによって、現在の88の星座の名称と境界線が確定された。
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