3番屋台 新田町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 03:57 UTC 版)
乗せ物:御神酒徳利 見送り:鯛と波 浜町と同様に1885年(明治18年)の大火災により焼失、以前は乗せ物が布袋様であった。1949年(昭和24年)に再建される、再建当初は仁輪加屋台であったが、その後の改修で大七車のおしゃぎりとなる。再建の際に乗せ物を御神酒徳利にしたのは、御船様に恵比寿様、御神酒徳利に大黒様と、組み合わせが良くなるようにしたと言われている。 新田町は盆唄や木遣りの際、手木を下した状態の時に、手木の上に乗って歌うが、これは昭和50年代後半迄は中町以外の瀬波の屋台は全てやっていた。しかし、屋台の老朽化を促進してしまう事から、次第に手木に乗るのを止め、現在では新田町でしか見る事が出来ない。手木に乗って歌う盆唄は盛り上がり、勇壮な瀬波大祭を象徴するものである。
※この「3番屋台 新田町」の解説は、「瀬波大祭」の解説の一部です。
「3番屋台 新田町」を含む「瀬波大祭」の記事については、「瀬波大祭」の概要を参照ください。
- 3番屋台 新田町のページへのリンク