2009年のエントリー落選
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「プロドライブF1」の記事における「2009年のエントリー落選」の解説
「2010年のF1世界選手権」も参照 FIAが2010年からF1参戦チームを最大13チームにまで拡げ、選択的予算制限規定を導入すると発表したことで、リチャーズは再び参戦の意思をほのめかした。 予算制限案を巡ってFIAとチーム協会 (FOTA) が対立する状況を見てエントリーを決めかねていたが、申請期限の2009年5月29日寸前になって正式にエントリーを表明した。ダー・キャピタルから資金を受け「プロドライブ」としてエントリーしたが、いずれはアストンマーティンを名乗るのではないかと言われた。 15チームがエントリーする中でプロドライブは当確候補と目されていたが、6月12日にFIAが発表した2010年F1エントリーリストから落選した。US F1のようなまだ活動実体のないチームに敗れるという意外な結果に終わったが、のちにリチャーズは「FIAから、コスワースエンジンを使用しなければエントリーを認めないと言われた」と告白した(選出された3チームはいずれもコスワースを搭載する)。 2010年には2011年シーズンの新エントリー募集が行われたが、リチャーズは「競争力とビジネスの両面で適切なタイミングではない」として申請を見送った。この時点ではマクラーレンのカスタマーシャシーの使用が認められなくなり、自力でマシンを開発する必要があった。2011年には「F1参戦を検討するならば、次のポイントは2013年だろう」と語ったが、結局参戦の動きは見られないまま現在に至っている。
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