2003年・ワールドツアー
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「アトミック・キトゥン」の記事における「2003年・ワールドツアー」の解説
2003年1月から2月にかけて南東アジアを回った。主に、シンガポール、タイ、韓国でツアーをした。またナターシャは産まれた子供をツアーに同行させた。 アメリカでアルバムをリリースしたが、最高位が102位とふるわず、それ以来アトミック・キトゥンはUK、ヨーロッパ、アジアを中心そして活動をするようになる。 2003年のほとんどは3枚目のアルバム、“Ladies Night” の製作に時間を費やす。それまで作詞はほとんど人任せにしていたが、このアルバムでは積極的に作詞に取り掛かった(15曲中8曲が彼女たちの作詞)。 このアルバムに収録されている “Ladies Night” はもともと1979年にリリースされたクール・アンド・ザ・ギャングの曲であった。彼らは新しいアルバムでこの曲を新しいバージョンで収録したく、また、この曲を歌える女性を探していた。そこで彼らはアトミック・キトゥンにコラボレーションをしようとたずねた。彼女達はこのアイディアを気に入り、コラボレーションをする代わりに自身等の次のアルバムに収録することを約束させた。しかしアルバムもシングルも結局過去に記録したほどの成績を得ることは出来なかった。 2003年11月から12月に予定していた “Ladies Night” ツアーを2004年2月から3月に変更され、名前も “Greatest Hits Tour” に変えられた。これでアトミック・キトゥンはスパイス・ガールズ以来のアリーナ・ツアーを成功させた女性グループとなった。
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