2000年 シドニー五輪4位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 19:19 UTC 版)
「ロジャー・フェデラー」の記事における「2000年 シドニー五輪4位」の解説
2000年2月、マルセイユに出場。ATPツアーで初めて決勝に進み、同胞マルク・ロセに6-2, 3-6, 6-7(5)で敗れた。3月、マイアミ・マスターズ2回戦で敗れてからは、5月末までに5大会連続初戦負けを喫するなど伸び悩み、大舞台で華々しい活躍を魅せる同世代のレイトン・ヒューイットやマラト・サフィンらの影に埋もれていった。この頃のフェデラーは、センス溢れるプレーを魅せる一方で、熱くなり過ぎて自滅するなど、感情の制御に課題があった。しかし、シドニーオリンピック銅メダル決定戦でアルノー・ディ・パスカルに敗れた頃から急成長が始まる。10月はバーゼルで準優勝。11月にランキングを24位まで上げ、36勝30敗、準優勝2回でシーズンを終えた。
※この「2000年 シドニー五輪4位」の解説は、「ロジャー・フェデラー」の解説の一部です。
「2000年 シドニー五輪4位」を含む「ロジャー・フェデラー」の記事については、「ロジャー・フェデラー」の概要を参照ください。
- 2000年 シドニー五輪4位のページへのリンク