2社企業連合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 17:02 UTC 版)
「ウィリアム・C・デュラント」の記事における「2社企業連合」の解説
次いでデュラントはブリスコーとの2社合併を考えた。1908年6月末までにはほとんど合意に達していた。資金援助は特にジョージ・パーキンスが中心となった。会社名はUnited Motors Companyを予定していた。「United Motors Company設立証書(基本定款)は滞りなく申請され、予測できないことが起こらない限り、株式は数日中に発行可能となる予定」とまで準備されていた。ユナイテッドモーターズの株式の配布との名義書換のためにビュイック株を用意しておく準備も整っていた。 7月3日にはフリントジャーナルがビュイックとマックスウェル=ブリスコーの合併のうわさを記事とし、デュラントが新合併会社の総支配人(general manager)となると書かれていた。 7月になって、当初United Motors Companyとされていた社名は、「インターナショナル・モーター・カー・カンパニー(International Motor Car Company)」とされた。パーキンズがすでに関わっていた他の会社がインターナショナルを社名につけていたためだった。ジョージ・W・パーキンズはインターナショナル・ハーベスターの設立の中心人物であり、またUSスチールの役員でもあった。
※この「2社企業連合」の解説は、「ウィリアム・C・デュラント」の解説の一部です。
「2社企業連合」を含む「ウィリアム・C・デュラント」の記事については、「ウィリアム・C・デュラント」の概要を参照ください。
- 2社企業連合のページへのリンク