1992年の活動開始からの10年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 05:34 UTC 版)
「鹿島アントラーズのアカデミー」の記事における「1992年の活動開始からの10年」の解説
鹿島アントラーズユースは、鹿島アントラーズが誕生した1992年から活動を開始した。1995年にGKの市川友也がチーム初となるトップチーム昇格を決め、1997年にはGKの曽ヶ端準がトップチーム昇格となった。 1998年、第6回Jリーグユース選手権大会で優勝。このときの優勝メンバーのうち、3年生の4選手はこの年に、2年生の野沢拓也と根本裕一は翌1999年に、それぞれトップチームへの昇格を決めた。また、野沢は1999年に2種登録選手としてトップのリーグ戦に初出場した。このように昇格が相次いだ結果、2000年から2001年にかけて、トップチームにはユース出身選手が7名在籍することとなった。曽ヶ端と野沢は後年、トップチームの主力として活躍している。 ユース監督は、1993年は藤代伸世、1994年は椎本邦人がつとめた。1995年、椎本はスカウト部に転出し、後任は山崎勇次となった。山崎は2002年までユース監督をつとめた。
※この「1992年の活動開始からの10年」の解説は、「鹿島アントラーズのアカデミー」の解説の一部です。
「1992年の活動開始からの10年」を含む「鹿島アントラーズのアカデミー」の記事については、「鹿島アントラーズのアカデミー」の概要を参照ください。
- 1992年の活動開始からの10年のページへのリンク