1989年 ATP初タイトル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 15:09 UTC 版)
「松岡修造」の記事における「1989年 ATP初タイトル」の解説
1989年は大会第4シードで出場した年初のBP国際選手権(英語版)1回戦でフランク・デンハルト(英語版)を6-2, 6-1のストレートで、2回戦で予選から勝ち上がってきたデビッド・ウィートンを7-6, 7-6のストレートで、準々決勝で第5シードのトビアス・スヴァントソン(英語版)を6-4, 6-4のストレートで、準決勝で第7シードのグレン・ミチバタを6-0, 6-3のストレートでそれぞれ下し決勝に進出。決勝では第2シードのケリー・エヴァーンデン(英語版)と対戦し5-7, 1-6, 4-6のストレートで敗れたが、日本人選手として1976年4月にパルマ・デ・マヨルカ大会で準優勝した九鬼潤以来13年振り、自身初となるツアーシングルス準優勝を果たす。翌週のハイネケン・オープンではスティーブ・ガイ(英語版)と組んで出場したダブルスでは決勝でジョン・レッツ(英語版)/ブルース・マンソンヒン(英語版)組を7-6, 7-6で倒しATPツアー初優勝をする等引き続き好成績を収めていった。しかし両膝の半月板を損傷するという故障に見舞われ、3月のマイアミ・マスターズ2回戦敗退を最後にツアーの一時離脱を余儀なくされる。
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