1986年-1994年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/12 17:54 UTC 版)
「甲府サッカークラブ」の記事における「1986年-1994年」の解説
1986年に川手が死去してクラブの存続が危ぶまれた時期もあったが、支援者の資金協力により存続が決まった。 1992年のJSL閉幕時には、1972年の第1回大会から1991/92年の第20回大会まで、「昇格も降格も消滅もせずJSL2部に所属し続けた唯一のチーム」として特別表彰を受けた。1992年からはリーグ制度改正に伴いジャパンフットボールリーグ(旧JFL)2部に参加。1993年、旧JFL2部において10チーム中9位となり地域リーグへの自動降格の危機に陥ったが、甲府より上位に位置していたNKKサッカー部(1988年に日本鋼管サッカー部から改称)とトヨタ自動車東富士FCがこの年を最後に廃部したため辛うじて入替戦に進出。甲府市緑が丘スポーツ公園で行われた入替戦において日本電装に2-1で勝利し、翌年から1部制になる旧JFLへの残留が決定した。
※この「1986年-1994年」の解説は、「甲府サッカークラブ」の解説の一部です。
「1986年-1994年」を含む「甲府サッカークラブ」の記事については、「甲府サッカークラブ」の概要を参照ください。
- 1986年 - 1994年のページへのリンク