1937年洪水
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/10 16:35 UTC 版)
「パデューカ (ケンタッキー州)」の記事における「1937年洪水」の解説
1937年、オハイオ川がパデューカ近くで1月21日には洪水位より50フィート (15 m) 上まで増水し、2月2日には最高水位60.8フィート (18.5 m) にまで上がり、2月15日には再び50フィートまで下がった。3週間近くの間、住民27,000人は避難を余儀なくされ、マクラケンやその他の郡部の高台にある友人や親戚の所に身を寄せた。アメリカ赤十字や地元の教会から避難所が開放された。パデューカ中心街の建物には最高水位が来た点を示す標識が備えられている。 このとき16日間に18インチ (457 mm) の雨が降り、速く流れる氷の板もあって、1937年の洪水はパデューカの歴史の中でも最悪の自然災害となった。パデューカの土盛りの堤防はこの洪水に対しては効果が無かったので、アメリカ陸軍工兵司令部は洪水堤防の建設を発注され、それが今も洪水被害から市を守っている。
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