1919-1939年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/03 17:54 UTC 版)
「スタンダード・モーター・カンパニー」の記事における「1919-1939年」の解説
一般向け乗用車の生産は1919年に小型車から再開、1924年には生産台数は1万台を超え、イギリスの市場シェアではオースチンと肩を並べる会社となっていた。 しかし1920年代後半、莫大な投資にもかかわらず海外輸出の試みが失敗に終わり、大型車の販売もうまく行かず、利益は極端に落ち込んだ。 1929年ヒルマンのジョン・ブラックが共同社長として経営陣に加わった。ブラックはジェンセン、エイボン、スワロー・サイドカー・カンパニー(のちSSカーズを経てジャガー)のような外部コーチビルダーにシャーシ・エンジンを提供することを推し進めた。レジナルド・モーズレーは1934年に会社を離れ、その後すぐに64歳で亡くなった。 1930年代にはスタンダード・ナイン、スタンダード・テンなどの新モデルにより会社の業績は復調した。これらは低~中程度の価格帯で1935年のモーターショーに出品された。フライング・スタンダードの新シリーズは時流に合わせた半流線型で発表された。
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