1866年の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/06 21:56 UTC 版)
1866年、オーストリアとプロイセンの普墺戦争が勃発すると、イタリア王国(1861年成立)はヴェネト地方を併合すべくオーストリアと戦端を開いた(第三次イタリア独立戦争)。1866年6月24日、ラ・マルモラ将軍 (Alfonso Ferrero La Marmora) 率いるイタリア王国軍はオーストリア軍とこの地で衝突したが、敗北を喫している (Battle of Custoza (1866)) 。 この時、ジュゼッペ・ガリバルディはアルプス猟兵隊を率いてトレンティーノ地方に攻め入り、ベッツェッカの戦いに勝利してトレントを目前にしていたが、クストーツァの敗北を受けたイタリア王国軍から後退を命じられて、「Obbedisco(従う)」と一言だけの電報を返している。
※この「1866年の戦い」の解説は、「クストーツァ」の解説の一部です。
「1866年の戦い」を含む「クストーツァ」の記事については、「クストーツァ」の概要を参照ください。
- 1866年の戦いのページへのリンク