龍造寺氏を保護
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 09:56 UTC 版)
蒲池鑑久の後を継いだのが「義心は鉄のごとし」と称えられた蒲池鑑盛であり、鑑盛は、祖父の治久が築いた柳川の城を本格的に改修し、柳川城を本城として整備した。その鑑盛が26歳の時、肥前国の龍造寺家兼が謀反のかどで主の少弐氏の重臣の馬場頼周による討伐戦に敗れ、筑後に落ち延びてきた。鑑盛は家兼の一行を手厚く迎え、三潴郡の一木村(現・大川市一木)に住居を用意して保護した。やがて肥前に復帰した家兼の命を受け龍造寺の家督を継いだのが仏門から還俗した龍造寺隆信だったが、その隆信もまた龍造寺氏の内紛で肥前を追われ、ゆく宛もなく筑後川近辺をさ迷ったあげく、対岸の筑後の蒲池鑑盛の保護を受けることになる。鑑盛は戦場では苛烈に戦うが、戦以外で、助けを求めてきた者には敵味方を越えて保護するという仁徳者であったという。この鑑盛による二代に渡る保護がなければ、龍造寺氏は滅びており、その後の龍造寺隆信の興隆もありえなかっただろう。
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