龍泉寺 (我孫子市)とは? わかりやすく解説

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龍泉寺 (我孫子市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/07 05:32 UTC 版)

龍泉寺
所在地 千葉県我孫子市中峠1423
位置 北緯35度52分15.3秒 東経140度4分51.6秒 / 北緯35.870917度 東経140.081000度 / 35.870917; 140.081000座標: 北緯35度52分15.3秒 東経140度4分51.6秒 / 北緯35.870917度 東経140.081000度 / 35.870917; 140.081000
山号 南命山
宗旨 新義真言宗
宗派 真言宗豊山派
本尊 不動明王
創建年 不詳
開山 空海
中興年 天文年間(1532年-1555年
中興 永楽法印
札所等 新四国相馬霊場第76番札所
法人番号 5040005013947
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龍泉寺(りゅうせんじ)は、千葉県我孫子市にある真言宗豊山派寺院

概略と沿革

創建年代は不明だが、延暦年間に空海が波切不動尊を安置したのが始まりとされる[1]。元々は中里村(現・我孫子市中里)にあったという[2]

1302年(延慶2年)、亀山天皇第六皇子の聖雲法親王(遍智院宮)が相馬巡錫の途次、当寺に留庵したと伝わる。

承平天慶の乱を始め、数々の戦乱で伽藍が焼失するなどしたが、天文年間(1532年-1555年)、永楽法印によって現在地に移転した[2]

1855年(安政2年)年、安政の大地震により堂宇や古文書を焼失。

1889年明治22年)、湖北尋常小学校(湖北小学校の前身)が境内に開設され、1955年(昭和30年)には湖北保育園が併設されている[1]

1954年(昭和29年)、東京・寛永寺の山内塔頭(子院)である凌雲院が、国立西洋美術館の建設のため取り壊されることになり、1832年天保3年)築の本堂を当寺の本堂として移築。山門は大正年間(1912~26年)に築造された東京・観智院の門を移築。

1960年(昭和35年)に庫裏1972年(昭和47年)に本堂内陣がそれぞれ増築された。

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b 第2343回例会報告議事録(我孫子ロータリークラブ)
  2. ^ a b 流山市立博物館友の会 編『楽しい東葛寺社事典(東葛流山研究第34号)』崙書房、2016年、80p

参考文献

  • 流山市立博物館友の会 編『楽しい東葛寺社事典(東葛流山研究第34号)』崙書房、2016年

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