観智院_(台東区)とは? わかりやすく解説

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観智院 (台東区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/15 08:15 UTC 版)

観智院
所在地 東京都台東区谷中5-2-4
位置 北緯35度43分26.3秒 東経139度46分5.8秒 / 北緯35.723972度 東経139.768278度 / 35.723972; 139.768278 (観智院 (台東区))座標: 北緯35度43分26.3秒 東経139度46分5.8秒 / 北緯35.723972度 東経139.768278度 / 35.723972; 139.768278 (観智院 (台東区))
山号 初音山(醫王山)
地名の谷中初音町から
院号 観智院
圓照院(旧称)
宗派 真言宗豊山派
本尊 大日如来
創建年 慶長16年(1611年
開山 照誉法印
中興年 17世紀末期
中興 宥朝法印
正式名 初音山東漸寺觀智院
醫王山東漸寺觀智院(旧称)
札所等 御府内八十八ヶ所霊場63番札所、御府内二十一ヶ所霊場6番札所
公式サイト 東京谷中 観智院
法人番号 7010505000198
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観智院(かんちいん)は、東京都台東区にある真言宗豊山派寺院

歴史

1611年慶長16年)、照誉法印によって開山された。元々は神田に位置していたが、1648年慶安元年)に谷中へ、万治年間(1658年1661年)に現在地に移転した[1][2]

1680年延宝8年)以降の第12世住職宥朝法印の代になり、当院は身分に囚われない多くの檀家を獲得し、寺運興隆の道を開いた。また当初の院号は「圓照院」であったが、「圓照」が「炎焦」に通じるということから、「観智院」に改称した。その甲斐あってか、元禄地震関東大震災などの震災による大火の難を免れている。これらの功績により、当院は宥朝法印を「当山中興の祖」としている[2]

このように、巧みに火災の難を逃れてきた当院であったが、1945年昭和20年)の空襲では、大師堂や不動堂を除く建物が焼失してしまった。幸いにも本尊や寺宝は守り通すことができた[2]

交通アクセス

脚注

  1. ^ 東京市下谷区 編『下谷区史』東京市下谷区、1935年、1034p
  2. ^ a b c 寺院概要観智院

参考文献

  • 東京市下谷区 編『下谷区史』東京市下谷区、1935年

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