齋藤 ゆかりとは? わかりやすく解説

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齋藤ゆかり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/12 07:10 UTC 版)

齋藤 ゆかり(さいとう ゆかり、1959年昭和34年〉12月3日[1] - 2022年令和4年〉6月[2][3][注釈 1])は、日本のイタリア語翻訳家資料センター《雪の下の種》イタリアピサ)の創設者、主宰。

略歴

プロ野球のスポーツ記者・鈴木陽一(1925年 - 1986年4月)と作家・齋藤雅子の長女として東京都に生まれる。1982年学習院大学哲学科卒業。その後、学習院大学人文科学哲学専攻修士課程修了[4]。同大学院に在籍中、1984年から1986年にかけてイタリア政府給費留学生として留学[5]。1986年から1988年にかけてルイジ・エイナウディ研究所研究生[5](同財団奨学生[6])。イタリア近現代思想史を専攻。長年にわたり、多方面にわたる活動に尽力。 平和のための様々な活動を行う資料センター「セミ・ソット・ラ・ネーヴェ(: Semi sotto la neve)」《雪の下の種》を設立[6]2004年からピサ大学語学センターで日本語担当講師を務める[4]など、ジャーナリズムや大学での日本語教育に携わる傍ら、イタリア文学などの翻訳を行った。

没後の2023年2月24日に第5回須賀敦子翻訳賞(授賞対象作品:シローネ著『フォンタマーラ』)の受賞者に選出されて[7][8]、同年4月26日に授賞式が執り行われた[9][6][注釈 1]。当日は受賞者スピーチの代わりに夫にあたると考えられる[1]ジェラルド・ブレイロックの追悼文が代読された[9][注釈 2]

著書

翻訳

イタリア語出版
(白六郎『漫画版 劣化ウラン弾』合同出版、イタリア語共訳)
豊田直巳『フクシマ元年』、毎日新聞社刊、イタリア語、共訳)
西岡由香『さよなら、アトミックドラゴン』凱風社、イタリア語訳)

監修

脚注

注釈

  1. ^ a b 没年の出典[2][3]と、かつて所属していたピサ大学での追悼の集いの出典[6]を合わせると、追悼の集いは死没から1年後に行われていることから、集いが催された6月5日が命日にあたるかと察せられる。
  2. ^ ジェラルド・ブレイロックは"Gerry Blaylock"の名で齋藤の翻訳を助ける[10]など《雪の下の種》での活動を共にしている。

出典

  1. ^ a b 本項目末尾の典拠管理データベースのうち、アメリカ議会図書館のものを参照(2025年6月28日閲覧)。"Birth Date 1959-12-03"と記載。また、同出典の情報ソースによれば、婚姻に伴う配偶者由来の姓は"Blaylock"である。
  2. ^ a b Andrea Valdambrini (2022年6月21日). “In ricordo di Yukari Saito” (イタリア語). Centro Interdisciplinare Scienze per la Pace. 2022年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年6月29日閲覧。
  3. ^ a b Martina Pignataro (2022年9月5日). “Gridas Grupporisvegliodalsonno's post” (イタリア語). Facebook. 2025年6月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年6月29日閲覧。 “Ho appena saputo che la nostra amica giapponese Yukarry Saito ci ha lasciati a giugno per una grave malattia..”齋藤ゆかりが重い病気のために6月に亡くなった旨を記載。
  4. ^ a b 翻訳者リスト - 齋藤ゆかり”. 光文社. 2025年3月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年6月28日閲覧。
  5. ^ a b 亡命家族の肖像 1993, 奥付.
  6. ^ a b c d In ricordo di Yukari Saitō - 5 giugno 2023 • Dipartimento di Filologia, Letteratura e Linguistica” (イタリア語). Università di Pisa. 2023年6月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年6月28日閲覧。同出典によれば、2023年6月5日に追悼の集いが催された。2023年4月26日、須賀敦子翻訳賞を死後に受賞した旨を記載。
  7. ^ Cerimonia di consegna del Premio Suga Atsuko per la traduzione – Quinta edizione” (イタリア語). Istituto Italiano di Cultura di Tokyo. 2024年6月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年6月29日閲覧。
  8. ^ 第五回須賀敦子翻訳賞、齋藤ゆかりさんがシローネ『フォンタマーラ』で受賞!”. 光文社 (2023年3月10日). 2023年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年6月28日閲覧。
  9. ^ a b 第5回須賀敦子翻訳賞授賞式開催報告(2023年5月21日更新)”. イタリア文化会館. 2024年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年6月28日閲覧。 “式次第…(中略)…斎藤ゆかり氏を偲んで”
  10. ^ Yukari Saito (translated by Gerry Blaylock) (2013年1月28日). “Fukushima must not repeat past mistakes” (英語). Semi sotto la neve. 2013年10月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年6月29日閲覧。

参考

  • 「風は国境を知らない」著者紹介



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