鳥居失脚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/31 02:33 UTC 版)
後に水野忠邦は腹心であったはずの鳥居耀蔵の裏切りなどもあり、改革は挫折し幕閣を追われた。しかし、水野は再度幕閣に復帰することになり、その際、鳥居を失脚させるための証拠集めを始めた。 そのころ、本庄茂平次は、鳥居に使い捨てられており、妻子を連れて長崎に戻ろうとしたが十分な路銀が無かった。それで、自分と同様に鳥居の手先を務めたが同じように見捨てられた小普請組の浜中三右衛門に、餞別に路銀をもらおうと挨拶をしに行った。浜中は、当時下谷で町医者をしていた本庄の紹介で鳥居耀蔵に会い、それから密偵を務めるようになった人物だったが、その浜中に本庄は水野忠篤を罪に落とした教光院事件の内幕(#教光院事件の節を参照)を話した。この件が浜中を通して水野忠邦にも伝わり、これが鳥居の失脚の一因になった。
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