高野山、鎌倉、京などで諸師遍歴
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「心地覚心」の記事における「高野山、鎌倉、京などで諸師遍歴」の解説
また高野山で伝法院主覚仏や正智院道範らから真言密教を学ぶ。また金剛三昧院の退耕行勇に師事し葉上流の台密である密教禅を修めた。栄西の法嗣であった退耕行勇は、鎌倉幕府第3代将軍の源実朝と大変親交が深かった。その実朝が鶴ヶ丘八幡宮に於て源公暁に暗殺されると、その霊をとむらうために高野山に籠り金剛三昧院の開山となっていたのである。そしてこの時、法燈国師は源実朝の霊を弔う為に高野山に来た、葛山景倫(後の願性)に出会うのである。その後、1239年(延応1年)師の退行行勇に随い鎌倉の寿福寺に移った。1242年(仁治3年)山城(京都)深草の極楽寺に道元を訪ね菩薩戒を受けた。そして1247年(宝治1年)には上野世良田の長楽寺開山の栄西の法嗣である釈円栄朝に参じた。しかしその年の9月に栄朝が遷化したので、無本覚心は翌年の1248年(宝治2年)には甲斐の心行寺に赴いた。栄朝の弟子である寿福寺の蔵叟朗誉に参じた。更に上京して、隠遁生活をしていた京都勝林寺の天祐思順にもつくなどした。
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