高野山、鎌倉、京などで諸師遍歴とは? わかりやすく解説

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高野山、鎌倉、京などで諸師遍歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 07:35 UTC 版)

心地覚心」の記事における「高野山、鎌倉、京などで諸師遍歴」の解説

また高野山伝法院主覚仏や正智院道範らから真言密教を学ぶ。また金剛三昧院退耕行勇師事し葉上流台密である密教禅を修めた栄西法嗣であった退耕行勇は、鎌倉幕府第3代将軍の源実朝と大変親交深かったその実朝が鶴ヶ丘八幡宮に於て源公暁暗殺されると、その霊とむらうために高野山籠り金剛三昧院開山となっていたのである。そしてこの時、法燈国師源実朝の霊を弔う為に高野山に来た、葛山景倫(後の願性)に出会うのであるその後1239年延応1年)師の退行行勇に随い鎌倉寿福寺移った1242年仁治3年山城京都深草極楽寺道元訪ね菩薩戒受けた。そして1247年宝治1年)には上野世良田長楽寺開山栄西法嗣である釈円栄朝参じた。しかしその年の9月に栄朝が遷化したので、無本覚心翌年1248年宝治2年)には甲斐心行寺赴いた。栄朝の弟子である寿福寺蔵叟朗誉参じた。更に上京して隠遁生活をしていた京都勝林寺天祐思順にもつくなどした。

※この「高野山、鎌倉、京などで諸師遍歴」の解説は、「心地覚心」の解説の一部です。
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