高茶屋の誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 07:21 UTC 版)
高茶屋は一志郡に属する小森上野村と小森村を結ぶ街道沿いに発達した街村であり、『宗国史』では小森村の枝郷、『勢陽五鈴遺響』では小森上野村の属邑とされた。慶長13年(1608年)以降、津藩の配下にあった。『伊勢参宮名所図会』は江戸時代の高茶屋の様子について 「 高茶屋、茶屋多し、此処より晴天には富士山見ゆるといふ 」 と記している。また当地の名物として『勢陽五鈴遺響』では、 「 小森上野ノ民家ニ、柿桃ノ大ノ焼塩ヲ旅客ニ販クアリ、上古ノ産物ノ遺風ナルヘシ 」 と記している。 1876年(明治9年)6月3日、高茶屋小学校の前身である小森学校が開校した。
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