高橋巖 (映画監督)とは? わかりやすく解説

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高橋巖 (映画監督)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/03 22:36 UTC 版)

高橋 巖(たかはし いわお、1963年 - )は、映画テレビドラマ作品の監督演出家神奈川県出身。日本工学院専門学校映像科卒業。

人物・来歴

1963年(昭和38年)、神奈川県平塚市に生まれる。 幼少の頃より映像に興味を持ち、中学に入る頃から8ミリフィルムで自主映画の制作を開始する。「スタンリー・キューブリックの影響は大きい」と本人は語る。

1987年(昭和62年)、東宝スタジオで撮影を行っていた実相寺昭雄監督の『帝都物語』のスタッフルームに単身乗り込み、現場で手伝わせてもらうことを交渉。特撮フォース助監督として現場入りすることとなる。 撮影が終了した後は実相寺監督の制作会社「コダイ」に席を置くことになり、実相寺監督をはじめ、門下生の服部光則監督、北浦嗣巳監督などの助監督としてその実績を積みはじめる。

当時の「コダイ」は同年代の演出を志す者の梁山泊的な色合いも強く、『ウルトラマンティガ』で脚光を浴びた川崎郷太監督、特殊メイクの第一人者原口智生、『帝都物語』では画コンテを担当した樋口真嗣監督らとの交流を深めることになる。

1991年(平成3年)、「コダイ」制作のオリジナルビデオ『実相寺昭夫の不思議館』 の1エピソード、「ワン・コイン・ドリップ・ドリーム」で初監督(脚本も担当)、それ以外のエピソードではプロデューサーとして辣腕を振るう。

1994年(平成6年)、「コダイ」を退社。フリーランスになり多方面に活躍の場を広げる。

1997年(平成9年)、佐伯日菜子主演 TV版『エコエコアザラク』第20話「面」、第21話「血」を演出。しかし、神戸連続児童殺傷事件の影響により、第19話以降の放送が自粛(テレビ東京)。在京ではビデオ発売まで幻の作品となっていた。

2001年(平成13年)、『infinity ∞ 波の上の甲虫』で劇場映画デビュー。東京都写真美術館でロングラン上映される。本作はソニー製のCineAltaカメラ「HDW-F900」を本格的に使用して制作された日本で最初のデジタルシネマである。雅楽師である東儀秀樹の映画デビュー作品でもある。これが縁で東儀秀樹がゲスト出演した『ウチくる!?」に、“お世話になった人”で出演し手紙を読み上げた。

2003年(平成15年)、劇場作品の第2作『八月のかりゆし』が公開。松田龍平主演、村山富市元首相が出演で話題になる。『波の上の甲虫』『八月のかりゆし』と熱帯地方でのロケが続き、本人もこういった環境をいたく気に入り、以後、ライフワークとすることを決意する。

2008年(平成20年)、和光大学 表現学部 総合文化学科 准教授を務める。(2016年に任期満了)

2009年(平成21年)6月13日、映画『希望ヶ丘夫婦戦争』公開。

2021年、文化庁長官表彰[1]

監督作品

映画

テレビドラマ

オリジナルビデオ

  • 実相寺昭雄の不思議館(1992年)
  • 妖女伝説セイレーン4(1995年)
  • ひらひら(1997年)
  • くりいむレモン 亜美の日記(2005年)
  • 五龍奇剣士メタルカイザー(2014年)

インターネットドラマ

助監督など

その他

  • 和光大学 表現学部 総合文化学科 准教授(2008年4月〜2016年3月)

脚注

外部リンク




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