高札・制札の廃止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 08:07 UTC 版)
だが、明治7年(1874年)に高札の廃止が決定され、2年後には完全に撤去された。その理由としては公式には「庶民への周知徹底が図られた」ことを理由とし、また背景には「切支丹札(キリスト教禁止)に対する欧米の反発」と言われているが、実際の理由としては、 明治維新とともに法令が一変して、手続が追いつかないこと(また、長く掲げることを目的とした高札の「固定性」も漸進的に法令を改正していく新政府の方針にそぐわなかった)。 当時の財政難の政府には維持費が出せなかったこと。 新しい警察・司法制度の確立や教育制度や新聞などの普及によって、高札に依存しなくても法令の周知徹底を図る手段が新たに登場したこと。 近代的な欧米の法体系が流入して「法律(法体系)の一元化」が求められた結果、全く同趣旨の法令でありながら官吏向けの法令と一般向けの高札が並存するのは明らかに異質であったこと。 などがあったと言われている。
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