高原新田宿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 00:19 UTC 版)
高原新田宿(たかはらしんでんしゅく)は、江戸時代に現在の栃木県日光市高原(鶏頂開拓、鶏頂高原)にあった会津西街道の宿場町である。文久3年(1863年)に会津西街道に代わり新栃久保街道が開通し、宿場自体が成立しなくなって廃村となった。宿場で生計を立てていた人々は新街道沿いの現在の川治温泉付近、男鹿川左岸に移住し、この時移住地を高原とした。現在、当時の高原問屋跡や、村人が移住する際に「文久3年下ル」と記したと伝わる「磁石石」が有形文化財として登録されている。
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