馬追山 (北海道)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 馬追山 (北海道)の意味・解説 

馬追山 (北海道)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/05 01:53 UTC 版)

馬追山
標高 287.1 m
所在地 日本 北海道
夕張郡長沼町
夕張郡由仁町
位置 北緯42度59分21.94秒 東経141度44分48.87秒 / 北緯42.9894278度 東経141.7469083度 / 42.9894278; 141.7469083座標: 北緯42度59分21.94秒 東経141度44分48.87秒 / 北緯42.9894278度 東経141.7469083度 / 42.9894278; 141.7469083
山系 馬追丘陵
馬追山の位置
プロジェクト 山
テンプレートを表示

馬追山(まおいやま)は、北海道空知管内夕張郡長沼町由仁町にまたがる馬追丘陵北部の一角を構成する、複数の小ピークが連なる山群の総称であり、最高標高点は287.1m[1]である。

概要

一等三角点「馬追山」(標高272.7m)および天測点の置かれた小ピークは通称「瀞台(しずかだい)」[2]と呼ばれ、この位置に通称名での看板が設置されている。看板には通称の由来として「明治十九年北海道植民地選定事業のため、北海道庁技師内田瀞氏が馬追原野の地勢調査のため登ったもので、この事業は北海道農村設定と開拓史の上で画期的なものであった。この馬追原野はその第一次のもので、その主役となった内田瀞氏を讃えて昭和35年『しずか台』と命名された。この山に登り、石狩平野を眺望して『大小の河川沼沢、深い泥炭層、その開拓の前身は容易ならざるも必ずや、他日穀倉たらん』と述べている。」と記されている。このため、馬追山の山頂がこの瀞台であると誤認される場合があるが、国土地理院の写真測量による最高点は上記三角点位置から南方へおよそ1.5km、自衛隊基地南側の稜線上にある。

また、長沼ナイキ基地訴訟の舞台となった場所としても知られる(後述)[3]

1873年マーレー・S・デイというお雇い外国人苫小牧の勇払を基点に三角測量に着手した。このとき5つの地点に標が立てられ、そのなかの第4標目に選ばれたのがこの馬追山だった[2]。馬追丘陵のなかで最高峰となる馬追山からは、当時、札幌にあった開拓使庁庁舎の屋上に設置されていた八角座を望むことができ、精確な三角測量の基準になったという[2]。こうして太平洋側から日本海側まで、三角線を接続することに成功したデイは、1874年に初の近代測量による「北海道実測図」を発行したものの、測量自体がその翌年に中断されている[2]

長沼ナイキ基地訴訟

1969年、馬追山山中に航空自衛隊が「ナイキ地対空ミサイル基地」を建設するために、当時の農林大臣森林法に基づいて国有水源涵養保安林の一部(全体、約1500haのうち約35ha)指定を解除した[3]。これに対し反対派地域住民のうちの一部[4]や、左翼系の護憲派[4][3]日米安保反対派、在日朝鮮人の団体[5][6]や、日教組[7]などで構成される反基地闘争勢力[3]が、「基地には公益性がなく、自衛隊は違憲であり、保安林解除は違法である」として、保安林指定解除の取消しを求めて行政訴訟を起こした事件である[3][8]

訴訟は、一審の札幌地裁では「平和的生存権」を認め、初の違憲判決で処分を取り消したものの、国の控訴による二審で札幌高裁は「防衛施設庁による代替施設の完成によって補填される」として一審判決を破棄、「統治行為論」を判示した。これを不服とした原告団は上告したものの、最高裁は違憲審査権の行使を控え、そもそも原告側には原告適格がないとして、1980年に上告を棄却した[9]。この事件が長沼ナイキ基地訴訟問題である。

また、現在も長沼町馬追台の山麓から山腹にかけてのエリアには航空自衛隊千歳基地長沼分屯基地が在り、北部航空方面隊麾下の第3高射群に所属する第11高射隊と第24高射隊が駐屯している。

脚注

  1. ^ 『地理院地図』(国土交通省)における北緯42度59分21.94秒、東経141度44分48.87秒の地点でのDEM5C測定による表示値
  2. ^ a b c d 石狩川流域史 支川編 夕張川流域 開拓初期 暮らし・社会国土交通省北海道開発局 札幌開発建設部
  3. ^ a b c d e 判例研究『長沼ナイキ基地訴訟上告審判決』(松本昌悦著作論文 (中京大学))
  4. ^ a b 南空知新報第1341号、南空知新報1343号、南空知新報第1345号、南空知新報第1351号、南空知新報第1357号、南空知新報第1363号、南空知新報第1370号、南空知新報第1376号、南空知新報第1382号掲載の「長沼分屯基地創設時の思い出1~9」
  5. ^ 『恵庭・長沼の闘いに学ぶ』(人権と民族パンフレット特別号 発行:北海道在日朝鮮人の人権を守る会 1974年7月3日制作)
  6. ^ 長沼事件関係資料目録(PDF) 北海道立図書館
  7. ^ 『対自衛隊・長沼闘争と教育の軍国主義化反対闘争との関連』(制作:教員“野崎さんを守る会”、1970年10月25日公開)
  8. ^ 「長沼訴訟」『デジタル大辞泉』 小学館
  9. ^ 『判決理由要旨(最高裁団藤判決)』1982年9月9日言渡し判決



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  馬追山 (北海道)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「馬追山 (北海道)」の関連用語

馬追山 (北海道)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



馬追山 (北海道)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの馬追山 (北海道) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS