風葬や洞穴葬の場所として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/07 05:08 UTC 版)
「ガマ (洞窟)」の記事における「風葬や洞穴葬の場所として」の解説
現在、沖縄本島における葬制は火葬となっているが、伊波普猷の報告にあるとおり、明治時代までは風葬がおこなわれていた。風葬は明治時代に行政から禁止されたが、久高島では1960年代まで行われていたことが確認されている また風葬に近い葬法では、1970年代まで宮古島で洞穴葬がおこなわれていた。 風葬において遺体はまず崖(パンタ)や洞窟(ガマ)に置かれて自然の腐敗を待ち、3年後・5年後・7年後など適当な時期を見て洗骨して納骨する。日本本土では薄葬令(646年)により庶民も定まった墓地に葬むる慣習が定着したのに比して、琉球弧において崖(パンタ)や洞窟(ガマ)は古来、現世と後生の境界の世界とされ、聖域であると同時に忌むものとされてきた。祖霊を崇める一方で、「死」はあくまで「穢れ」と捉えられているのである。
※この「風葬や洞穴葬の場所として」の解説は、「ガマ (洞窟)」の解説の一部です。
「風葬や洞穴葬の場所として」を含む「ガマ (洞窟)」の記事については、「ガマ (洞窟)」の概要を参照ください。
- 風葬や洞穴葬の場所としてのページへのリンク