音信不通から現地捜索
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/20 01:48 UTC 版)
「ペルー早稲田大学探検部員殺害事件」の記事における「音信不通から現地捜索」の解説
AとBはイキトスからの連絡の際に、連絡がなかった場合は捜索に動くという最終連絡日を12月3日に設定した。そしてその12月3日まで連絡が途絶えたままであることを確認した探検部と早稲田大学は12月4日に対策本部を設置。12月5日には、探検部員が冒険旅行のゴール予定にしていたブラジルのマナウスに向けて出発した。 ブラジルでは2名の入国記録がなく、目撃情報も得られなかった。このため、12月17日にブラジルでの捜索を打ち切り、ペルーへ移動することにした。また日本から探検部員1人をさらに派遣した。12月19日に在ペルー日本大使館がペルーの警察に対して正式な捜索願を提出。また日本でも記者会見が開かれて、事態が公となる。イキトスでAとBの目撃情報が得られ、またピファヤルにある監視所に必ず立ち寄るはずだという情報から、捜索範囲をイキトスからピファヤルの間とした。現地の警察と共同で捜索を始める。
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