青龍寺_(京都市東山区)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 青龍寺_(京都市東山区)の意味・解説 

青龍寺 (京都市東山区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 22:42 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
青龍寺
所在地 京都府京都市東山区河原町通八坂鳥居前下ル南町411
位置 北緯34度59分56.7秒 東経135度46分45.7秒 / 北緯34.999083度 東経135.779361度 / 34.999083; 135.779361座標: 北緯34度59分56.7秒 東経135度46分45.7秒 / 北緯34.999083度 東経135.779361度 / 34.999083; 135.779361
山号 見性山
宗派 浄土宗
本尊 聖観音
創建年 延暦8年(789年
開基 桓武天皇
中興年 建久3年(1192年
中興 見仏
札所等 洛陽三十三観音霊場第9番
法人番号 4130005000243
テンプレートを表示

青龍寺(せいりゅうじ)は、京都市東山区にある浄土宗寺院山号は見性山。本尊聖観音高台寺の山門前、清水寺から八坂神社に通じる観光ルートの一角にある。洛陽三十三所観音霊場第9番札所。

歴史

延暦8年(789年)に桓武天皇の勅命によって長岡京近郊、乙訓郡小塩山に大宝寺として創建され、平安遷都により現在地に移された。「伽羅(きゃら)観音」の通称で広く信仰を集めてきた本尊の聖観音は、本堂正面に安置されており、身の丈約1メートル、細身の優雅な立ち姿である。寺伝によると、の皇帝徳宗から献上された伽羅木を、桓武天皇が伝教大師(最澄)に命じて彫刻させたものという。

その後、治承・寿永の乱の戦火にあって荒廃していたが、建久3年(1192年)に法然の弟子である見仏が再興し、法然を請待して浄土宗の六時礼賛別時念仏の道場とし、寺名を引導寺に改めた。

江戸時代寛永年間(1624年 - 1645年)、知恩院第32世雄譽霊巌上人により寺名を青龍寺と改めた。

境内

  • 本堂
  • 庫裏
  • 弁天
  • 念仏石 - 本堂前の庭に長さ1メートル、幅50センチほどの石が据えられている。法然の門弟・見仏が後白河法皇追善回向の為、法然を招いて六時礼讃を勤めた時、同じく門弟の住蓮が鉦の代わりに叩いたという石で、隕石との言い伝えもあり、名物となっている。大小二つあって、小さい方は本堂内に保存されており、打つとカーンと金属性の音がする。
  • 近藤正慎(義重)の墓 - 勤王の志士。
  • 山門

前後の札所

洛陽三十三所観音霊場
8 大蓮寺 - 9 青龍寺 - 10 清水寺善光寺堂

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「青龍寺_(京都市東山区)」の関連用語

青龍寺_(京都市東山区)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



青龍寺_(京都市東山区)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの青龍寺 (京都市東山区) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS