青生東谿とは? わかりやすく解説

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青生東谿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 12:53 UTC 版)

青生 東谿(あおう とうけい、明和2年(1764年) – 天保9年2月18日1838年3月13日))は、江戸時代後期の地理学者[1]。本名は元宣[1]。字は子和[2]。青生は号で、別号に市川、芸亭がある[3][4]。通称は井桁屋茂兵衛[5][6]

経歴・人物

尾張国の人物[2]名古屋大曽根坂上薬種商を営んだ豪商[3][4]詩歌絵画を能くした[3][4][2]。のち京都において僧位に叙せられた[3][4]

文政11年(1828年)および天保8年(1837年)にのちの分県地図の先駆けとなる『国郡全図』を刊行した[1][5][6]

国郡全図

文政11年(1828年)名古屋の永楽屋東四郎が初版出版[5][6]。天保8年(1837年)江戸の地図出版者須原屋茂兵衛が改訂版を刊行する[5][6]

日本総図を分割した地図帳で、上下2巻に分かれる[5][6]。紙本墨摺著色[2]。諸国の形は、水戸藩の儒官、長久保赤水の『改正日本輿地路程全図』に準拠している[5][6]。原図となった赤水図は全国を一紙に描く都合上、詳しさには限度があったため、これを地図帳の形とした[5][6]

構成は、菅原長親ら3名による序の後、自序、凡例、郡名目録などが続き畿内から東海道東山道といった順番に各国の地図が並ぶ[5][6]。国の大小によらず、1国1図を原則(面積が広い陸奥国出羽国越後国薩摩国は数図に分割されている)としており縮尺は図毎に異なっている[5][6]。このうち、東谿の故郷である尾張図は精細な出来映えとなっている[5][6]。自序によると国毎に絵図を収集し参考にしたという[5][6]

脚注

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  1. ^ a b c デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『青生東谿』 - コトバンク
  2. ^ a b c d 国郡全図 - 広島県ホームページ、2018年8月24日閲覧。
  3. ^ a b c d 服部徳次郎著『愛知画家名鑑』愛知画家顕頌会刊、1997年2月10日発行
  4. ^ a b c d 名古屋市博物館編『尾張の絵画史 南画』、1981年9月30日発行
  5. ^ a b c d e f g h i j k 国郡全図 上 古地図コレクション(古地図資料閲覧サービス)、2018年8月24日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j k 国郡全図 下 古地図コレクション(古地図資料閲覧サービス)、2018年8月24日閲覧。



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