青木秀夫 (野球)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 青木秀夫 (野球)の意味・解説 

青木秀夫 (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/10 22:22 UTC 版)

青木 秀夫
基本情報
国籍 日本
出身地 神奈川県横浜市鶴見区
生年月日 (1962-06-17) 1962年6月17日(62歳)
身長
体重
179 cm
81 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1983年 ドラフト2位
初出場 1985年5月30日
最終出場 1986年6月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

青木 秀夫(あおき ひでお、1962年6月17日 - )は、神奈川県横浜市鶴見区[1]の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

鶴見工業高では、愛甲猛宮城弘明らと並ぶ県内屈指の好投手として知られる。1980年夏の県大会では準々決勝で、エース近藤章仁を擁する桐蔭学園高に延長11回の接戦の末に敗退、甲子園には届かなかった。

高校卒業後は、社会人野球東芝に入団。黒紙義弘川端順らと強力投手陣を構成し、1983年都市対抗野球で優勝[2]日本選手権でも準優勝を果たす。

1983年のプロ野球ドラフト会議横浜大洋ホエールズから2位指名を受け入団。

即戦力として期待されたが、ほとんど戦力にならず未勝利のまま1987年限りで現役を引退。

引退後は打撃投手を務める。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1985 大洋 6 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 52 11.0 12 4 9 1 1 3 0 0 12 12 9.82 1.91
1986 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 12 2.0 6 1 0 0 0 2 0 0 6 6 27.00 3.00
通算:2年 7 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 64 13.0 18 5 9 1 1 5 0 0 18 18 12.46 2.08

記録

  • 初登板:1985年5月30日、対広島東洋カープ戦(広島市民球場)、5回裏から3番手で救援登板、2回無失点

背番号

  • 41 (1984年 - 1987年)
  • 90 (1988年 - 1990年)

脚注

  1. ^ プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、4ページ
  2. ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「青木秀夫 (野球)」の関連用語

青木秀夫 (野球)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



青木秀夫 (野球)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの青木秀夫 (野球) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS