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青木新治郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/23 15:20 UTC 版)

青木新治郎
あおき しんじろう
生年月日 1852年9月26日
出生地 日本 大和国北葛城郡箸尾村
(現・奈良県北葛城郡広陵町
没年月日 (1909-05-23) 1909年5月23日(56歳没)
死没地 日本
前職 農業
所属政党 憲政本党

選挙区 奈良県郡部選挙区
当選回数 1回
在任期間 1908年 - 1909年5月12日

北葛城郡会議員
当選回数 2回
在任期間 1897年8月 - ?
1903年10月 - ?

箸尾村長
在任期間 1892年10月 - 1896年3月

箸尾村会議員
当選回数 4回
在任期間 1892年5月 - ?

奈良県会議員
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青木 新治郎(あおき しんじろう、1852年9月26日嘉永5年8月13日[1]〉 - 1909年明治42年〉5月23日[2][3])は、日本の政治家衆議院議員(1期)。

経歴

大和国北葛城郡箸尾村(現・奈良県北葛城郡広陵町)生まれ[4]。農業[2]1892年(明治25年)5月に箸尾村会議員に当選して、4期務めた[5]。同年10月から1896年(明治29年)3月まで同村長を務めた[5]1897年(明治30年)8月、北葛城郡会議員となった[6]1903年(明治36年)10月、郡会議員に再選した[7]。また、奈良県会議員も務めた[2]。そのほか、五二会奈良県本部長、大和木綿連合組合総長を務めた[2]

1908年(明治41年)の第10回衆議院議員総選挙において奈良県郡部から憲政本党公認で立候補してトップ当選する[8]1909年(明治42年)2月13日、日比谷公園前で喀血して倒れ、入院した[9]。その後、5月12日付で議員辞職した[10]。同月23日、高輪病院にて死去した[3]

脚注

  1. ^ 衆議院『第二十五回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1907年、10頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』9頁。
  3. ^ a b 憲政本党党報 3(9) 10コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ 帝国議会議員通覧 48コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ a b 大和北葛城郡史 下巻 (日本郡誌史料集成 ; 近畿地方) 221コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ 大和北葛城郡史 上巻 (日本郡誌史料集成 ; 近畿地方) 277コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ 大和北葛城郡史 上巻 (日本郡誌史料集成 ; 近畿地方) 279コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  8. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』50頁。
  9. ^ 憲政本党党報 3(6) 10コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  10. ^ 官報 1909年05月13日 7コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。



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