NTT西日本名古屋野球クラブ
チーム名(通称) | NTT名古屋クラブ、NTT東海、電電東海 |
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加盟団体 | 日本野球連盟 |
加盟区分 |
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創部 | 1949年 |
廃部 | 2002年 |
チーム名の遍歴 |
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本拠地自治体 | |
練習グラウンド | NTT東海グラウンド |
都市対抗野球大会 | |
出場回数 | 19回 |
最近の出場 | 1996年 |
最高成績 | 準優勝 |
社会人野球日本選手権大会 | |
出場回数 | 10回 |
最近の出場 | 1998年 |
最高成績 | 優勝 |
全日本クラブ野球選手権大会 | |
出場回数 | ※出場資格なし |
NTT西日本名古屋野球クラブ(エヌティーティーにしにほんなごややきゅうクラブ)は、愛知県名古屋市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟していた社会人野球のクラブチームである。2002年に解散した。
概要
日本電信電話公社の東海電気通信局の硬式野球部『電電東海硬式野球部』として、1949年に創立された[1]。1956年に都市対抗野球に初めて出場し、ベスト8に進出。
1985年、母体の民営化に伴いチーム名を『NTT東海硬式野球部』に改称した。
1986年の日本選手権で初優勝を達成すると、翌1987年の都市対抗野球でベスト4に進出し、1988年の都市対抗野球では過去最高となる準優勝を果たした。
NTTグループの再編に伴い、1999年1月にNTT東日本硬式野球部とNTT西日本硬式野球部が設立され、社内の各野球部はどちらかに統合される事が決まった。このため東海野球部からは5人が西日本野球部に移籍し、30人いた部員は20人まで減少した[2]。しかし廃部にはせず、同年10月より会社の支援のないクラブチームとして活動を続けることになり、チーム名を『NTT西日本名古屋野球クラブ』に改称した。
しかし、母体の経営状況などの理由から2002年の都市対抗予選をもって解散し、選手は以後社業に専念している[3]。
沿革
- 1949年 - 『電電東海硬式野球部』として発足
- 1956年 - 都市対抗野球大会に初出場
- 1977年 - 社会人野球日本選手権大会に初出場
- 1985年 - 『NTT東海硬式野球部』に改称
- 1986年 - 社会人野球日本選手権大会で優勝
- 1988年 - 都市対抗野球大会で準優勝
- 1999年 - クラブチームに移行し、『NTT西日本名古屋野球クラブ』に改称
- 2002年 - 解散
主要大会の出場歴・最高成績
- 都市対抗野球大会 - 出場19回[4]
- 社会人野球日本選手権大会 - 出場18回、優勝1回(1988年)
- JABA東京スポニチ大会 - 優勝1回(1992年)
- JABA長野県知事旗争奪野球大会 - 優勝2回(1994年、1995年)
- JABA高山市長旗・飛騨市長杯争奪高山大会 - 優勝1回(1997年)
- JABA伊勢・松阪大会 - 優勝2回(1955年、1970年)
主な出身プロ野球選手
- 後藤清(投手) - 1967年ドラフト4位で西鉄ライオンズ
- 奥田和男(投手) - 1971年ドラフト2位で中日ドラゴンズに入団
- 浜田知明(投手) - 1982年ドラフト5位で阪神タイガースに入団
- 中西親志(捕手) - 1987年ドラフト5位でヤクルトスワローズに入団
- 岩瀬仁紀(投手) - 1998年ドラフト2位で中日ドラゴンズに入団
- 山崎隆広(外野手) - 統廃合の際にNTT西日本に移籍し、2005年大学生・社会人ドラフト9位で東北楽天ゴールデンイーグルスに入団
かつて在籍していた選手
- 森昌彦(投手) - 高校野球指導者、アトランタオリンピック野球日本代表
- 橋本哲也(内野手) - その後NTT西日本でコーチ・監督を歴任。その後は中京高校野球部監督も務めた。
- 中村豪(投手・内野手) - 高校野球指導者
脚注
関連項目
- 社会人野球チーム一覧
- 都市対抗野球大会 (愛知県勢)
- NTT西日本レグルス
- NTTの硬式野球部(NTT東日本、NTT西日本)
- NTT北海道 - 統廃合の際にクラブチーム化。2006年に廃部。
- 東北マークス(旧:NTT東北) - 統廃合の際にクラブチーム化。
- NTT関東 - 統廃合の際に廃部。
- 信越硬式野球クラブ(旧:NTT信越) - 統廃合の際にクラブチーム化。
- NTT北陸 - 統廃合の際にクラブチーム化。1999年に廃部。
- NTT西日本中国野球クラブ(旧:NTT中国) - 統廃合の際にクラブチーム化。2003年に廃部。
- NTT四国 - 統廃合の際に廃部。
- NTTグループ九州野球クラブ(旧:NTT九州) - 統廃合の際にクラブチーム化。2001年に廃部。
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