NTT四国硬式野球部とは? わかりやすく解説

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NTT四国硬式野球部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 08:54 UTC 版)

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NTT四国硬式野球部
チーム名(通称) NTT四国、電電四国、四国電電
加盟団体 日本野球連盟
加盟区分 企業チーム
創部 1958年
廃部 1999年
チーム名の遍歴
  • 四国電電 (1958 - 1959)
  • 電電四国 (1960 - 1984)
  • NTT四国 (1985 - 1999)
本拠地自治体
練習グラウンド NTT松山グラウンド(愛媛県温泉郡重信町
都市対抗野球大会
出場回数 21回
最近の出場 1994年
最高成績 2回戦
社会人野球日本選手権大会
出場回数 18回
最近の出場 1998年
最高成績 準優勝
全日本クラブ野球選手権大会
出場回数 ※出場資格なし

NTT四国硬式野球部(エヌティーティーしこくこうしきやきゅうぶ)は、愛媛県松山市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟していた社会人野球の企業チームである。1999年に解散した。

概要

日本電信電話公社四国支社の企業チーム『四国電電硬式野球部』として、1958年中国四国地方の出身者を中心に創部した[1]1960年、チーム名を『電電四国硬式野球部』に改称した。

1963年には都市対抗に初めて出場し、1973年にはJABA四国大会で初優勝した。1977年には日本選手権で準優勝、1981年にはJABA大阪大会で優勝している。

1985年、電電公社の民営化に伴い、チーム名を『NTT四国硬式野球部』に改称した。

1983年から16年連続で日本選手権1984年および1990年からそれぞれ5年連続で都市対抗に出場していた。

1999年、母体であるNTTグループの再編に伴って四国野球部は廃部となることが決定し、同年1月に若手の主力選手5人が新たに設立されたNTT西日本硬式野球部へと移籍した[2]。同年は残った21人の部員で活動し、26年ぶりにJABA四国大会を制し、6月都市対抗四国予選をもって活動を終えた[1]

2000年、元部員らが中心となってクラブチーム松山フェニックスが設立された。

沿革

  • 1958年 - 『四国電電硬式野球部』として創部。
  • 1960年 - 『電電四国硬式野球部』に改称。
  • 1963年 - 都市対抗に初出場。
  • 1974年 - 日本選手権に初出場。
  • 1977年 - 日本選手権で準優勝。
  • 1985年 - 『NTT四国硬式野球部』に改称。
  • 1999年 - 解散。

主要大会の出場歴・最高成績

主な出身プロ野球選手

脚注

  1. ^ a b 毎日新聞、1999年12月11日付朝刊、愛媛地方面
  2. ^ 毎日新聞、1998年12月17日付朝刊、愛媛地方面

関連項目




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