難波田憲重とは? わかりやすく解説

難波田憲重

(難波田正直 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/16 17:30 UTC 版)

難波田 憲重(なんばだ のりしげ、? - 天文15年(1546年)4月20日[1])は、戦国時代武将扇谷上杉氏の家臣。松山城城主、深大寺城城主。弾正を称した。初名は正直と推定され[2]、別名は善銀(法名)。難波田広定の子とも。子に、男子3名のほか、女子(太田資正妻)、女子(大森式部大輔妻、難波田憲次母)。難波田は「なばた」とも読む。


  1. ^ 川越市の行伝寺過去帳の20日に「難波田殿 善銀」と書かれてあり、同日の欄外に、「川越一戦討死弐千八百廿余人 天文十五年丙午四月」とある。(川越市立博物館 2007, p. 37(川越市立博物館所蔵の複製品の写真有り))
  2. ^ 黒田基樹は、正直の実名が上杉定正からの偏諱によるものと推定し、定正の没年である1494年以前に成人していると、1546年の河越夜戦で死亡した際には70歳程度という高年齢であることなどの理由から、正直を憲重の親と推定している。(黒田基樹 2014)
  3. ^ 大圖、2012年、P253・257
  4. ^ 「関八州古戦録 巻之一」近藤瓶城編『史籍集覧』第5冊、近藤出版部、1925年
  5. ^ 『快元僧都記』天文6年7月22日条
  6. ^ その後、小田原衆所領役帳に、難波田後家に対して河越三十三郷池辺に38貫150文が宛行われている(『東京市史 第1 集註小田原衆所領役帳』東京市役所、1936年、pp.374-375)。梅沢太久夫 2006参照


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