隠元との出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/23 05:30 UTC 版)
承応3年(1654年)、同学の僧より明の高僧隠元隆琦が来日する話を聞いて肥前国長崎に赴き、崇福寺で道者超元に参禅したのち、同年7月、興福寺(長崎県長崎市)に滞留中の隠元を訪ね、入門を許された。ところが間もなく大病に冒されたため、療養のため佐賀を経て翌承応4年江戸に向い、さらに郷里の八幡村に戻って父のもとで加療に努めた。神仏に対して病魔に身を捨しても本望との願を立てた結果、数日でようやく全快したので再び摂津嶋上(大阪府高槻市)の普門寺にあった隠元に私淑して求道に励み、明暦2年(1656年)、隠元が山城国宇治に黄檗山萬福寺(京都府宇治市)を開くにあたって尽力した。
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