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阿武素行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/01 14:59 UTC 版)

阿武 素行(あんの もとゆき/そこう、天保11年(1840年2月 - 明治44年(1911年7月3日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将山口県(旧長州藩)出身。奇兵隊御楯隊の隊士として幕末の攘夷戦争に参加し、のちに大日本帝国陸軍創設期を支えた。

生涯

周防国玖珂郡布谷村(現・山口県)に生まれる。長州藩足軽の出で、下関戦争に参戦。元治元年(1864年)、奇兵隊に入隊し、御楯隊の創設に尽力、同隊士として活動した。その後、製武隊に統合され、同隊の書記を務めた[1]

明治維新後は新政府陸軍に出仕し、陸軍の歩兵部門で昇進を重ねた。明治3年(1870年)12月に陸軍准大尉、明治4年(1871年)7月23日に陸軍少佐となり、明治6年に陸軍中佐に進んだ。明治7年3月24日には歩兵第2連隊長、明治11年11月25日には歩兵大佐に昇進した[2]

明治13年(1880年)4月30日、近衛歩兵第1連隊長に就任。明治15年(1882年)2月8日には近衛参謀長、明治16年(1883年)5月21日には西部監軍部参謀を務めた。

明治19年(1886年)9月30日には陸軍教導団長となり、明治23年(1890年)3月26日に休職。5月10日付で陸軍少将・予備役となった[2]

その後、明治27年(1894年)の日清戦争時に留守第7旅団長・留守第4師団長事務取扱として召集され、明治32年(1899年)4月1日に退役した。明治44年(1911年)7月3日、京都で病没[1]

栄典

  • 明治4年(1871年) - 正七位
  • 明治6年(1873年) - 従六位・正六位
  • 明治11年(1878年)1月31日 - 勲四等・年金135円
  • 明治13年(1880年) - 従五位
  • 明治18年(1885年)4月7日 - 勲三等旭日中綬章
  • 明治19年(1886年)11月16日 - 正五位
  • 明治23年(1890年)5月10日 - 従四位
  • 明治28年(1895年)8月20日 - 勲二等瑞宝章(日清戦争功績)
  • 明治28年11月18日 - 明治二十七八年従軍記章
  • 明治44年(1911年)7月3日 - 正四位(特旨)

脚注

参考文献

  • 『陸海軍将官人事総覧 陸軍編』 芙蓉書房出版、1993年、18頁。
  • 『幕末維新人名辞典』 新人物往来社、1994年、60頁。
軍職
先代
渡辺央
陸軍教導団長
1886年 - 1890年
次代
波多野毅
先代
国司順正
近衛歩兵第1連隊長
1880年 - 1882年
次代
川上操六
先代
(新設)
歩兵第2連隊長
1874年 - 1880年
次代
児玉源太郎



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