阿曇氏との関連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/20 05:26 UTC 版)
阿曇氏(あずみうじ)は安曇氏とも記し、律令制の下で、高橋氏とともに内膳司の奉膳の職を世襲した。膳氏とは逆に瀬戸内海、壱岐など西国に影響力をもち、淡路島や小豆島などの海人、海部を支配していたとも言われる。一方で応神記に「海人が騒ぎをおこしたため、安曇連の祖大浜宿称を遣してこれを鎮撫し、海人の宰(みこともち)となる」というような内容もある。 若狭国や志摩国と膳氏との関係は、淡路国と阿曇氏との関係にも見て取れるという説も同様になされている。また768年に阿曇氏の阿曇石成が若狭国守を務めている。これは高橋氏との権力争いとともに、道鏡との関連が指摘されている。
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