闇無浜神社とは? わかりやすく解説

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闇無浜神社

読み方:クラナシハマジンジャ(kuranashihamajinja)

別名 竜王宮

教団 神社本庁

所在 大分県中津市

祭神 豊日別国魂神 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

闇無浜神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/12 08:14 UTC 版)

闇無浜神社
(闇無濱神社)

所在地 大分県中津市竜王町447
位置 北緯33度36分39.7秒 東経131度11分38.6秒 / 北緯33.611028度 東経131.194056度 / 33.611028; 131.194056座標: 北緯33度36分39.7秒 東経131度11分38.6秒 / 北緯33.611028度 東経131.194056度 / 33.611028; 131.194056
主祭神 豊日別国魂神など
社格郷社
別名 豊日別国魂神社(旧称)
竜王宮 (龍王宮)
例祭 10月14日-15日
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闇無浜神社 (闇無濱神社)(くらなしはまじんじゃ)とは、大分県中津市にある神社

境内社である八坂神社の祇園祭(7月下旬週末)は、「下祇園」として、南西近隣の中津神社の「上祇園」と共に中津祇園を構成する。

概要

中津川河口の東岸、かつて闇無浜 (倉無浜)(くらなしはま)と呼ばれた場所に鎮座している。闇無浜 (倉無浜) は、万葉集にも読まれている景勝地であった[1][2]

創建は不詳だが、古代から崇敬を集めた祈願社であり、740年天平12年)の藤原広嗣の乱においては阿倍虫麻呂が祈願を行い、771年宝亀2年)の疫病、790年延暦9年)の天災、941年天慶4年)の藤原純友の乱1281年弘安4年)の元寇などに際しても、祈願が行われた[3]

境内社である八坂神社の祇園祭は、延宝年間(1673年1681年)に竹で山車の装いをこしらえたことに始まり、天和3年(1683年)に豊後町が京都の山車をまねてから隆盛に向かった[4]

1872年明治5年)に豊日別国魂神社から闇無浜神社へと改称した[3]

祭神

境内社

  • 八坂神社(例祭:7月下旬週末)
  • 船魂住吉社(例祭:9月吉日)
  • 恵比須社(例祭:5月10日)
  • 稲荷社(例祭:3月初午
  • 厳島社
  • 金比羅社

脚注

  1. ^ 闇無浜とは - コトバンク
  2. ^ 境内掲示板
  3. ^ a b 境内由緒書
  4. ^ 闇無浜神社とは - コトバンク


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