関所廃止以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 01:44 UTC 版)
1869年(明治2年)、明治維新の最中に栗橋関所は幕府と共に姿を消した。なお、房川渡は東京から東北方面へ向かう交通路として明治以降も存続した。1924年(大正13年)の利根川橋の完成によって、房川渡はその役割を終えた。 1924年(大正13年)、旧堤上に「栗橋関所址」の記念碑が旧番士3家・本陣・宿名主の発起で、町内と近在の有志により建碑された。 1961年(昭和36年)9月1日には「栗橋関跡」として、埼玉県の旧跡に指定された。
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