長瀞城とは? わかりやすく解説

長瀞城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/02 16:08 UTC 版)

長瀞城(ながとろじょう)は、山形県東根市長瀞地区にあった戦国時代から江戸時代にかけての日本の城。別名雁城(かりがねじょう)ともいう。

歴史

鎌倉時代建長年間に西根氏によって築城されたという。時代が変遷すると最上氏の所領となり、4代目当主最上満家が隠居の為に利用した。その後は最上満種や最上満宗の居城になったとも、長瀞左衛門尉が本拠を構えたとも言う。本格的に城郭が整備されるのは最上義光が入城してからである。元和8年(1622年)に最上氏が改易されると山形藩の所領となり、鳥居氏保科氏と城主は変遷する。寛文11年(1671年)、保科氏の転封に伴い天領となり、幕府が元締陣屋を設置して直轄した。その後、寛政10年(1798年)に米津氏が武蔵国久喜からこの地に入り、長瀞藩長瀞陣屋となった。

特徴

水堀、土塁を二重に巡らせた方形輪郭式の平城で、かなりの規模を持っていた。通常の城は三の丸までだが、四の丸まであったという。ただし、遺構が残存しておらず、確固たる検証はできない。

また、城跡がはっきりしている。地図を見れば明らかだが、長瀞城は町の大本になっている。特に整備がされていて、貴重な文化財として活用されることが期待される。ただし、復元された部分が多いという事には注意を要する。

出典

  • 山形県の歴史散歩(山川出版社
  • 北天の巨星 最上義光より 片桐繁雄
  • 陸奥・出羽 斯波・最上一族
  • 奥羽斯波氏諸列記
  • 東根市史

関連項目





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「長瀞城」の関連用語

長瀞城のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



長瀞城のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの長瀞城 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS