長安での席次争い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/25 13:20 UTC 版)
翌753年(天平勝宝5年)には長安の大明宮で開催された唐の朝賀で遣唐使大伴古麻呂が新羅の使者と席次を争い意を通すという事件が起こる。この際唐は日本側の新羅が倭の従属国であった事実を受け入れ新羅を下位においた。この年の遣新羅大使は、新羅で景徳王に謁することが出来なかった。
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