長光寺_(稲沢市)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 長光寺_(稲沢市)の意味・解説 

長光寺 (稲沢市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/28 06:15 UTC 版)

長光寺

地蔵堂(六角堂)
所在地 愛知県稲沢市六角堂東町3-2-8
位置 北緯35度13分59.8秒 東経136度49分52.7秒 / 北緯35.233278度 東経136.831306度 / 35.233278; 136.831306座標: 北緯35度13分59.8秒 東経136度49分52.7秒 / 北緯35.233278度 東経136.831306度 / 35.233278; 136.831306
山号 興化山
宗派 臨済宗妙心寺派
創建年 (伝)仁寿元年(851年
開基 (伝)小野篁
中興年 延元三年(1338年
中興 足利尊氏
文化財 地蔵堂、鉄造地蔵菩薩立像(重要文化財)
銅造鰐口(県文化財)ほか
法人番号 1180005010612
テンプレートを表示

長光寺(ちょうこうじ)は、愛知県稲沢市にある臨済宗妙心寺派寺院

歴史

仁寿元年(851年小野篁が陸奥の国に下る途中、この辺りに駐杖した際、路傍に地蔵像を安置したのが始まりと伝わる[1]1161年、尾張守であった平頼盛が病気平癒のお礼に六角堂を寄進した[1]1336年足利尊氏が戦のため上洛する際に太刀を奉納して武運を祈願し、勝利したお礼に六角堂を祈願所として定めた[1]1338年に尊氏が将軍宣下を受けると、山門などを奉納して再興している[1]。その後、織田氏徳川家康尾張徳川家によって庇護された[1]

逸話

若かりし日の織田信長の遊び場であり、六角堂で後に清洲城城代となる埴原常安と出会っている[2]。境内奥には、信長愛飲の臥松水と呼ばれる井戸があり、茶の湯や膳にその水を汲んだと伝わる[3]

文化財

重要文化財

愛知県指定文化財

稲沢市指定文化財

被害

2023年(令和5年)5月末、稲沢市指定文化財の楼門の柵が倒され、仁王像の腕が折れているのが発見された[4]。仁王像では足元に置かれたさい銭が盗まれる被害が続いており、像の損壊との関連も指摘され、同年7月末に稲沢警察署に被害届を提出した[4]

ギャラリー

所在地

  • 愛知県稲沢市六角堂東町3-2-8

出典

  1. ^ a b c d e 尾張六角堂の凄い由緒と歴史”. 草川平次郎. 2015年5月16日閲覧。
  2. ^ あの戦国の現場へ行こう”. 愛知戦国史跡ナビゲーター・みかわのひで. 2015年5月16日閲覧。
  3. ^ 観るなび”. 日本観光振興協会. 2015年5月16日閲覧。
  4. ^ a b 【独自】さい銭盗が仁王像の腕折る? 国重文も所有する稲沢・長光寺が被害”. 中日新聞. 2023年8月8日閲覧。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「長光寺_(稲沢市)」の関連用語

長光寺_(稲沢市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



長光寺_(稲沢市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの長光寺 (稲沢市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS