金凡父とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 金凡父の意味・解説 

金凡父

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/19 05:06 UTC 版)

撮影時期不詳
金 凡父(凡夫)
各種表記
ハングル 김범부
漢字 金 凡父(凡夫)
発音: キム・ボンブ
日本語読み: きん ぼんぷ
各種表記(本名)
ハングル 김정설
漢字 金 鼎卨
発音: キム・ジョンソル
日本語読み: きん ちょうてつ
テンプレートを表示

金 凡父[1]または金 凡夫[2](キム・ボンブ、朝鮮語: 김범부1896年[1]または1897年[2] - 1966年12月10日)は、大韓民国漢学者哲学者仏教哲学東洋哲学[2]政治家陸軍軍人。第2代韓国国会議員。

本貫善山金氏[3]。本名は金 鼎卨(キム・ジョンソル、김정설)。小説家金東里は16歳年下の弟である[4][5]。著書は『花郎外史』『風流精神』などがある[2]

経歴

慶尚北道慶州出身[4]。金桂史から漢学を学んだ後、東洋大学哲学科卒(中退という情報もある)、東京外国語大学東京帝国大学京都帝国大学政治科聴講。帰国後は仏教中央学林で講義をしたが、病気により釜山に移住した。1934年、崔凡述朝鮮語版の手配で多率寺朝鮮語版日本天台宗僧侶教授40余人に清談派の玄理思想を講義した。その後は全国の寺院を周遊し高僧たちの講義を聞いて修行しながら、仏教哲学の研究を行い、1941年には海印寺事件により1年間投獄された。解放後は建国に関する講座を開こうとして、郭尚勲金法麟らと共に一五倶楽部を組織し、1948年にはさらに経世学会を組織した。1950年の第2代総選挙では東莱郡選挙区より無所属で出馬し当選した。1955年には鶏林大学学長となり、1958年には建国大学校の教員として東方思想研究所を設立した。1961年の5・16軍事クーデター以降は釜山に滞在し、漢学と東洋哲学に関する研究に力を注いだ。他には東国大学校教授、ソウル新聞社顧問秘書官、五月同志会副会長などを務め、軍にも参加し、陸軍中領として予備役編入された[1][2][6]

1966年12月10日、胃がんによりソウル赤十字病院の入院中に死去。享年69[7]

脚注

  1. ^ a b c 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2024年8月31日閲覧。
  2. ^ a b c d e 김위석, “김범부 (金凡夫)” (朝鮮語), 韓国民族文化大百科事典 (韓国学中央研究院), https://encykorea.aks.ac.kr/Article/E0009189 2024年8月31日閲覧。 
  3. ^ (79)선산 김씨(善山金氏)(김선궁)-109,682명” (朝鮮語). 서울이코노미뉴스 (2014年9月12日). 2024年8月31日閲覧。
  4. ^ a b [황석영이 뽑은 한국 명단편](15) 김동리 ‘역마’” (朝鮮語). 경향신문 (2012年3月16日). 2024年8月31日閲覧。
  5. ^ 소종섭 (2017年3月21日). ““김범부는 박정희의 5·16 이후 사상적 스승”” (朝鮮語). 시사저널. 2024年8月31日閲覧。
  6. ^ 근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2024年8月31日閲覧。
  7. ^ 金凡父(김범부)씨”. NAVER Newslibrary. 동아일보 (1966年12月12日). 2024年8月31日閲覧。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  金凡父のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「金凡父」の関連用語

金凡父のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



金凡父のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの金凡父 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS