金丹の流行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 15:00 UTC 版)
葛洪以来、金丹(水銀化合物を含む丹薬を服用し、それによって不老長生を得ること)が徐々に研究され、隋代の蘇元朗が『周易参同契』の理論を取り上げると、唐代に入って皇帝の支持を得て広く流行した。その最盛期は玄宗の頃であり、玄宗は道士の孫太冲に「神丹」を煉出させたり、呉筠に金丹の生成法や成仙不死の方法を尋ねたりした。唐の末期には、皇帝は多くの道士を宮廷に呼び寄せたが、結果は中毒によって穆宗・武宗・宣宗が命を落とした。文人などにも流行し、儒者である韓愈も硫黄を服用し亡くなったという。結局は成果を挙げられない金丹は、内丹の興隆もあって唐代を最後に廃れ始めた。
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