野村安趙との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 14:55 UTC 版)
琉球古典音楽の野村流を開いた野村里之子親雲上安趙(野村安趙)は機知に富むが、学者肌の津波古親方政正とはソリが合わなかった。ある日、玉川御殿で歌会が催された。宴も盛り上がり、次は歌三線に移ろうと、津波古親方政正が野村里之子親雲上安趙に「歌シャーターは揃ったか」と聞くと、「学シャーターが何を仰る。学シャーターの者も、豚シャーターの者も同じではないですか」と津波古親方政正をやりこめた。尚泰王は別荘お茶屋御殿で宴会をもった。野村里之子親雲上安趙の書く文字の面白さを見て、津波古親方政正が「先生はサー、難しいのを書かれるね」と言ったので、野村里之子親雲上安趙は「今、仰ったサーは何の字を当てるのですか」と聞いた。津波古親方政正が「知らん」と答えると「小の字です。和文に小夜ふけては小と書いてあります」と言ったので津波古親方政正は苦笑いするしかなかった。(「東汀随筆」より)
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