野州塩谷氏の家督を継ぐ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 16:11 UTC 版)
その後、義通は、歴史の表舞台から姿を消すが、岡本正親の保護を受け、その娘を妻に迎え、久太郎(義保)、惣十郎(保真)、新助(保忠)の3人の男子に相次いで恵まれる。そして、塩谷氏における復権の機会に恵まれず、同時に嫡子を2人も失って後継者を無くしていた正親の勧めもあり、義通は、3人の子を正親の養子として預ける。 すると正親は、天正18年(1590年)に小田原征伐をきっかけにして、豊臣秀吉から泉十五郷を与えられ塩谷氏から独立。この泉十五郷には、義通が城代を務めていた御前原城がある中村郷と、塩谷氏が氏神として信仰していた木幡神社のある木幡郷があり、合わせて約1000石の領地を以て義通も独立して御前原城に入る。さらに文禄4年(1595年)2月8日には、義綱の塩谷氏が秀吉により突如改易され、義通が、実質的に野州塩谷氏の家督を継承する形になった。
※この「野州塩谷氏の家督を継ぐ」の解説は、「塩谷義通」の解説の一部です。
「野州塩谷氏の家督を継ぐ」を含む「塩谷義通」の記事については、「塩谷義通」の概要を参照ください。
- 野州塩谷氏の家督を継ぐのページへのリンク