里見義重とは? わかりやすく解説

里見義重

(里見淳泰 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 07:22 UTC 版)

里見 義重(さとみ よししげ、元亀元年(1570年)? - 元和8年(1622年))は安土桃山時代から江戸時代初期にかけての人物。里見義弘の嫡男で、幼名は梅王丸(うめおうまる)。母は古河公方足利晴氏の娘。安房里見氏当主だったとされるが、後に異母兄(叔父とも)里見義頼によって無理やり出家させられて、淳泰(じゅんたい)と名乗ったという。


  1. ^ 千野原靖方『新編房総戦国史』(崙書房出版、2000年8月1日)では、梅王丸の生母足利晴氏の女が義弘と同居していた時期を「永禄10年(1567年)の三船山合戦の勝利」から「父義尭の死ぬ天正2年(1574年)6月」と推定し、この間に梅王丸と女子をもうけたとしている。


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