蓑原の合戦
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/11 16:18 UTC 版)
蓑原の合戦(みのばるのかっせん)は、南北朝時代の天授5年/永和5年(1379年)3月1日と3月3日[2]に現在の宮崎県都城市で行われた今川満範と島津氏久の合戦である。
- ^ 近世の地誌や同時代の資料である『山田聖栄自記』には「蓑原合戦」と名称が書かれているが、天授3年/永和3年(1377年)に戦端が開かれたとしているものの一次史料に合戦が開かれた事実が確認できず年代が不明だった。一方、今川方武将の軍忠状では天授5年/永和5年(1379年)に勃発した戦いが「都城合戦」と名付けられ、内容が蓑原合戦と同じであるため、呼称が違うだけで天授5年/永和5年説が正しいとされている。
- ^ 通説では天授3年/永和3年に勃発したとする見方があったが、今川方の武将の軍忠状に「島津越後入道」と氏久が出家していることが書かれていて、氏久の出家は天授5年/康暦元年(永和3年、3月22日に改元)閏4月から翌天授6年/康暦2年(1380年)10月にかけての出来事であるため、天授3年/永和3年では矛盾が生じ、軍忠状作成は天授6年/康暦2年に行われ、前年に合戦が行われたことが正しいとする見方が近年に示された。『都城市史』p133 - p134。
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- 2 蓑原の合戦の概要
- 3 参考文献
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