郡山市立金透小学校とは? わかりやすく解説

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郡山市立金透小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/13 06:00 UTC 版)

郡山市立金透小学校
北緯37度23分47秒 東経140度22分52秒 / 北緯37.39631度 東経140.381度 / 37.39631; 140.381座標: 北緯37度23分47秒 東経140度22分52秒 / 北緯37.39631度 東経140.381度 / 37.39631; 140.381
過去の名称 郡山小学校
金透小学校
郡山尋常小学校
郡山第一尋常高等小学校
郡山金透尋常高等小学校
郡山金透尋常小学校
郡山金透国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 郡山市
設立年月日 1873年4月
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B107220330272
所在地 963-8877
福島県郡山市堂前町5番21号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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郡山市立金透小学校(こおりやましりつ きんとうしょうがっこう)は、福島県郡山市堂前町にある公立小学校

概要

  • 旧郡山市内で最初に設立された小学校である。
  • 校内に設置された金透図書館は、旧郡山市内で最初に設立された図書館であった(現存せず)[1]
  • 教育のめざす児童像は「ともに学び育つ子ども」としており、3アップ(マナー・学力・体力)運動の展開を心掛けている。
敷地内の金透記念館
  • 1876年明治天皇東北御巡幸の祭には、旧校舎が休憩所として使用された。その旧校舎の一部は麓山通り側に復元され、「金透記念館」として現在も残る。見学可能だが要事前予約[2]
  • 校名の「金透」は、明治天皇に随行して来校した木戸孝允により命名された。朱子が著した『朱子語録』中の「陽気發處石亦、精神一到何事不成」に由来する。
  • 1883年には伊藤博文、三条太政が来校している。
  • 合奏団が全国大会に多数出場。(1960年・1961年・1982年・2002年・2014年・2015年 全国1位受賞)

沿革

  • 1873年4月 - 盛隆舎として開校。
  • 1874年11月 - 郡山小学校と改称。
  • 1876年6月 - 木戸孝允が「金透小学校」と命名。
  • 1889年4月 - 郡山尋常小学校に改称。
  • 1900年4月 - 第二小学校(現在の芳山小学校)が新設され、男女分離。郡山第一尋常高等小学校に改称。
  • 1913年6月 - 郡山金透尋常高等小学校に改称。
  • 1932年4月 - 郡山金透尋常小学校に改称。
  • 1941年4月 - 郡山金透国民学校となる。
  • 1941年8月 - 正面校舎全焼。
  • 1947年8月 - 現在の郡山市立金透小学校に改称。
  • 1973年4月 - 創立100周年。

出身者

脚注

参考文献

  • 山崎義人 編著 編『郡山市図書館 45年の歩み(資料編)』郡山市中央図書館、1992年1月、161頁。 全国書誌番号:92031776

関連項目

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